12月31日
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今日で2008年が終わる。
ぼくの人生の中では、かなりの激変の年であった。
1月に約10年間勤めた経済産業省を退職した。日米交渉でワシントンに出張する飛行機に搭乗する3分前に、池田元久衆議院議員から、「2区は君に決まった」と携帯電話に連絡を受け、即座に経済産業省と、出向中だった防衛省の秘書課(人事課)に電話で連絡して、飛行機に乗った。ワシントンのダレス空港に着くと、携帯電話が鳴り、「すぐ戻ってこい」と。米国滞在たった1時間半で成田にとんぼ帰りし、辞表を提出した。
しかし、1月に決まったのは、民主党神奈川県連での衆議院議員候補者の決定のみで、民主党本部の決定は5ヶ月後の6月10日だった。その間、厳しい月日だった。
初っ端から、政治の世界の厳しさを身をもって知らされた。
さらっと書いたが、ほんとに厳しい5ヶ月間だった。
しかし、その分、6月からは必死で動いた。
人生初めての経験の連続だった。
駅前に立って、マイクで大声で話したり、街宣車に乗って訴えたり、突然知らない人の家のインターホンを押して、「三村和也です。日本の政治を変えるために活動しています。」なんて言ったり、自分の顔が大きく描かれているポスターをもって、人の家の壁に「ぼくのポスターを張らせてください!」とお願いしたり、自分の名前が大きく書かれているノボリを道端に立てたり、自転車にそのノボリを立てて走ったり。
普通の人生を送っていたら、決して経験しないことばかり。
しかし、ほんとにうれしいのは、政治というのは、やればやっただけ、返ってくるということ。三村和也なんて昨日まで全然知らなかったのに、ぼくの話を聞いてくれて、そして応援してくれる人がどんどん増えた。
来年2009年も、一歩一歩、着々と積み重ねていきたい。
そして、この国を良くしたい。「この国を良くする」というと、なんかバカみたいだが、本当に思っているのは、そういうことだ。
今のぼくの原点は、最初の子供が生まれた時に、「この子たちの未来のために、ちゃんとした社会を残しておきたい。日本を良い国にしておきたい。」と思ったことだった。
そのために、まず国政の場に出て、今の停滞した、無責任な政治を変えたい。
大晦日の今日も三村事務所はフル営業。外回りから帰ってくると、街宣から帰ってきカジさんとエースがいた。今日は休んで良いって言ったのに(涙)。。
そして家に帰ると、家族みんなで、明日元旦から街頭で配る、チラシを折ってもらう。
みんな、ありがとう。
初めての経験で手探りながらも、なんとかこの活動を続けられている、しかも楽しく続けてられているのは、周りで支えてくれるみんな、これまで出会ってぼくを応援してくれているみんなのおかげです。
来年も楽しく必死にがんばります。
日本を動かす時が来た
三村和也